透明な荷物を軽くする

気持ちに荷物を背負わせてる人へ

私は帰らない、父は帰れない家庭

今週のお題「おとうさん」

 

お題の「父の背中にバラを」という文章で、

矢の飛ばされたバラが刺さる図が浮かぶ、

セーラームーン世代です。

幽遊白書世代は鞭になるのでしょうか。

 

先日「母に心を引き裂けれて」という本を買いました。

基本は母と娘の話が中心なのですが、

父親の分析が入っており、大変当てはまっておりました。

 

私の父はその本で言うと『狩人タイプ』

「家より仕事をとる人間」でした。

それは社会人としてある程度仕方のないことというより、

会社という場所に生きがいと居場所を感じているようでした。

 

父は「この日は仕事なんだ、しばらく休みがないんだ」

「この日は別の人が休んだから入ることにしたんだ」

その声は生き生きとしているのですが、

疲弊して身体を痛めてても通おうとするので、

痛々しく感じていた記憶があります。

 

父の兄弟が仕事をやめてから鬱状態になった。

だから今の仕事がなくなっても仕事を探そうと思う。

そう言われたこともありました。

 

そして父は家が好きではないのです。

父は母との会話はすぐ終わらせるようにしていました。

まだ小さい妹がいるというのに、単身赴任もしました。

私が思春期になりあらゆる症状が出たとき別居もしました。

なんでこんな大変な状況でと思うこともあります。

しかし私も家が嫌いなので、気持ちはわかるのです。

 

母は『鳥かごタイプ』と本では言われており、

不安を常に抱えて不安で接してくる存在でした。

 

 

母は子供が幼稚園、小学校などに通うことで、

新たな不安事を生み出すようになりました。

私はその不安の為に、失敗する状況が許されませんでした。

 

「母に迷惑がかからないように完璧にしなくてはいけない」

「うまく出来る確証がないならやってはいけない」

「失敗したら母が私のせいで周りに迷惑が掛かったと言うだろう」

 

私は母の不安に雁字搦めにされ続けていました。

母の不安は海の大波のように巻き込もうとするのです。

父はそこから逃げるようにしていました。

 

私は母に適応することに必死になりすぎて、

そのストレスを父に投げてしまったのです。

別居まで追い込んだことを私は謝りました。

 

「父の気持ちに気づかず、母のことを当たってしまいごめんなさい」

そう父に伝えて一緒に泣きました。

「母という存在から引きはがして自分と向き合ってほしかった」

という怒りもぶつけて一緒に泣きました。

母から受けた暴言、母の理不尽な対応、会話が通じないこと、

あらゆることを報告しました。

そして「母より父を大切にすべきだった」と後悔しています。

 

今、私が出て行った家には父と母と、妹がいます。

私は父に「母はおかしな人だから、妹を守ってあげて」

「妹が母から離れて外に出れる機会を作ってあげて」

「たまには父自身も身体は休めるようにしてね」

「母はお金の不安でやりたがらないだろうけど、

たまには美味しいもの食べたり楽しいこともやってね」

私は父に一言ではなく、いろいろメールで伝えています。

 

妹は妹で状態があまりよくなく薬を飲んでるようですが、

父と妹は二人で兄弟のように仲良く過ごしているようです。

「母と会話が通じない」は父も妹も感じていたようで、

二人が母から離れ、穏やかな家庭過ごせたらと願うものです。